茨城県大洗町の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで作業員5人が被曝(ひばく)した事故で、室内に飛散したプルトニウムなどの放射性物質を室外に出さないための処置をする間、5人は室内で3時間にわたって待機していたことが分かった。その間に体内に放射性物質が入り、最も多い人で肺から2万2千ベクレルのプルトニウムが検出されるという、国内最悪の内部被曝につながった可能性がある。
被曝直後、体内に36万ベクレル 原子力機構が推定
作業員1人肺から2万2千ベクレル 国内最悪の内部被曝
放射性物質が飛散した事故は6日午前11時15分ごろに、燃料研究棟の分析室で発生した。放射性物質が入ったポリ容器は二重のビニール袋に包まれ、ステンレス製の保管容器に入っていた。
原子力規制委員会や原子力機構によると、事故当時、保管容器の内部の状況を確認するため、50代の男性職員がフタを留める6本のボルトを緩めていた。4本目を外したところでビニール袋が膨らんで、フタが浮き上がってきたという。職員はフタを押さえつけながら残りの2本を外してフタを取ったところ、ビニール袋が破裂した。ビニール袋内に何らかの原因でガスがたまり、内圧が高まっていた可能性がある。
破裂の瞬間、職員は「脇腹からおなかにかけて風圧を感じた」と話したという。規制委の幹部は「結果論だが、フタに違和感があったところで作業を止めておけば破裂しなかった可能性がある」と話した。
室内が放射性物質で汚染されたため、そのまま外に出ると放射性物質が外部に漏れる。5人は室外の職員に対応を要請した。
原子力機構はドアの外に体の汚染状況を調べたり除染したりする作業スペースを設置する作業を進めたが、完成したのは午後2時半ごろだった。5人は約3時間、放射性物質が飛散した室内で待機した。口と鼻を覆うタイプのフィルター付きのマスクを付けていたが、長時間待機している間に、顔などの隙間からプルトニウムなどを吸い込んだ可能性があるという。
(石塚広志、東山正宜)
http://digital.asahi.com/articles/ASK686KSJK68ULBJ00S.html?rm=561
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袋破裂前、ふた浮く「前兆」 ガス充満、強い圧力 室内に5時間待機
核燃料物質の保管状況の確認のため、最も被ばく量の多かった50代の男性作業員が核燃料物質入りのステンレス容器のふたのボルトを外す作業の途中、中のビニール袋が膨張し、ふたが浮き上がる「前兆」があったことが判明した。 日本原子力研究開発機構の被ばく事故は、同機構による作業員への聞き取りなどで、当時の詳しい状況が明らかになってきた。
原子力機構や、機構から報告を受けた原子力規制委員会によると、ステンレス容器は直径15センチ、高さ22センチの円筒形で、ふたは6本の六角ボルトで留められていた。このうち4本を50代男性が外したところ、ふたが浮き上がり、「プシュー」という気体が漏れるような音が聞こえたという。
放射性物質が漏れていないか調べたが、問題なかったため、ふたを手で押さえながら、残りのボルト2本を外したところ、中にあったビニール袋が破裂、核燃料物質の粉末が飛散した。
ステンレス容器は1991年以来、26年間開封していない。破裂時、男性は「腹部に風圧を感じた」と説明しており、規制委は容器内にガスが充満し、強い圧力がかかっていたとみている。規制委の担当者は「結果論だが、ふたが浮いた時点で作業を中断していれば事故は防げた」と指摘する。
容器の開封作業は、周囲に放射性物質が漏れないよう内部の空気を吸引し、圧力を周囲より低い状態に保った作業台で実施していた。しかし、前面のガラスには手を入れるための隙間(すきま)が開いており、破裂の勢いで放射性物質が作業台から部屋の中に飛び散ったとみられる。原子力機構は規制委に対し、「汚染は部屋全体に広がっている」と説明した。
事故後、室内にいた作業員5人は、体の汚染を確認するための作業場をドアの外に設置する間、そのまま室内で待機。最も被ばく量の多かった50代男性が部屋を出たのは事故から5時間後だった。
【鈴木理之、岡田英】
https://mainichi.jp/articles/20170610/ddm/012/040/072000c
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