2018年5月2日水曜日

福島の被曝労働にベトナムの若者

原発労働家族に言えず 「お金のため」来日



取材に応じる福島第1原発で働くベトナム人技能実習生ら=福島県内で、関谷俊介撮影(画像の一部を加工しています)

<福島原発>建設工事に外国人実習生
 
 東京電力福島第1原発事故から7年が過ぎた。廃炉に携わる現場には、外国人技能実習生たちの姿もある。日本の原発輸入を中止したベトナムから来日した技能実習生たちはどんな思いで働いているのだろうか。2020年東京五輪・パラリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場建設にも携わった彼らの姿を追った。【関谷俊介】

3DKに7人

 2月。福島県浜通りにある木造平屋の軒先には、雪が舞っているにもかかわらず、シャツやズボンが干しっ放しにされていた。午後6時すぎ、家の前に1台のワゴン車が止まった。車を降りた男たちが洗濯物を取り込み、家の中に入ってストーブをフル稼働させる。
 彼らは、ほとんどがベトナム国籍の20~30代の若者。技能実習生4人と建設就労者2人で、いずれも東京電力福島第1原発で働いている。3DKのうち、4畳半を都内で建設会社を営む日本人男性の社長が使い、残りの6畳二間を3人ずつでシェアする。
 家の中が暖かくなり、各人が夕飯の支度に取りかかる。当番は決まっていない。2、3人が狭い台所に立って、包丁で野菜を切り、肉を炒める。独特の調味料の香りがたちこめる。炊飯器から白飯を茶わんによそい、それぞれが作った料理をテーブルに並べ、つまんでいく。食材は、会社の事務所がある東京に2週間に1回、全員で帰る機会にスーパーで調達したものだ。彼らはほぼ毎日、第1原発と家を往復するだけの生活。昼食も夕飯の残りを弁当箱に詰めて現場に持参する。
 あすもいつもと同じように朝5時半に起き、6時には家を出る。平日はこの家に戻ってから眠りにつく夜10時ごろまでが疲れをとるわずかな自由時間。布団に寝そべってスマートフォンでゲームや音楽に興じたり、ダンベルを持ち上げて体を鍛えたりといった姿は、日本の若者と変わりはない。
 無線LAN「Wi-Fi(ワイファイ)」でインターネットに接続し、「LINE(ライン)」で約4000キロ離れた母国の家族とテレビ電話をするのが一日の楽しみという。だが、機器の接続がうまくいかず、インターネットにアクセスできない状態になることが多いのが悩みだ。
 実習生のうち2人は幼い子供たちを本国に残す父親。実習期間中の最低3年間は、子供の成長を画面を通して見守るしかない。

「一番ひどい現場」

 彼らが福島第1原発で働くようになったのは昨年秋から。東電が発注した焼却施設の建設工事に入るゼネコンの下請け会社のもとで働く。第1原発では増え続ける汚染水を保管するタンクを敷地内に増設するために伐採した木や、事故時に発生したがれきなどの廃棄物が約36万立方メートル残されたままだ。放射性物質に汚染している可能性があるため外部に持ち出せず、燃やせるものは敷地内で焼却し、体積を減らす。そのための施設だ。
 「今の現場は楽です。周りの日本人も優しい。前の現場は厳しかった」。日本語が一番堪能な技能実習生のグエンさん(仮称、25歳)が言う。
 グエンさんと建設就労者の2人は第1原発の前、新国立競技場(東京都新宿区)の建設現場で働いていた。
 新国立競技場は東京五輪・パラリンピックの開閉会式が行われるメインスタジアム。旧デザインは総工費が当初の想定から高騰したため、15年7月に白紙撤回。半年後に現デザインが採用され、着工は当初の予定から1年2カ月遅れた。地上5階地下2階建て、座席約6万席、総工費1490億円の巨大プロジェクトだ。
 1日約1500人が働く現場には、シャワー室や女性専用の休憩所も整っていた。だが、17年には現場監督の23歳の男性が月200時間近い残業の末、過労自殺した。発注者の日本スポーツ振興センター(JSC)は19年11月の完成に間に合わせるため、事業主体の選定にあたって工期短縮を求めていた。そのしわ寄せを受けたとの見方がささやかれる。
 楕円(だえん)形の現場には、巨大なクレーンがいくつも立ち並んでいる。十分な数に見えるが、工区によってはクレーンを置くスペースがなく、資材を手で運ばなければならない。
 グエンさんら3人が派遣されたのもそんな場所だった。「でかい現場」「手で運んで、重かった」「いっぱいやり直しがあった」。3人は口々に言う。休みは日曜日のみ。土曜日も祝日も働いた。
 彼らを雇う日本人の社長にとっても苦い記憶が残る。「クレーンが使えない分、人力でやらないといけない。他社から人手を借りて、その分経費がかかるから、もうけにならない。工期も厳しいうえにそんな状態だったから、1カ月は遅れていたかな。これまでの中で一番ひどい現場だった」。このままでは会社の存続にもかかわりかねない。途中で引き払って、誘いのあった福島第1原発の仕事に行くことに決めた。原発で仕事をするのは社長も初めてだった。
 原発事故当時、6人の外国人は誰も日本にいなかった。世界を揺るがした事故はテレビの中だけの世界だった。

「ホウシャケイ」

 「ホウシャケイ、ホウシャケイ、ホウシャケイ」。原発での仕事について尋ねると、一人が繰り返した。聞き返しても、放射能のことを指すのか、放射線なのか、線量計なのか、はっきりしない。「日本人もたくさん働いている。だから大丈夫と思う」。グエンさんが言葉をつけ加えた。
 東電によると、6人が働く現場は放射線管理区域に入らず、マスクやタイベックスーツ(防護服)は不要。原発敷地内の作業であっても放射線防護教育は行われず、法律上被ばく線量を管理する必要もないという。近くのモニタリングポストの数値はここ数カ月、毎時0.8~0.9マイクロシーベルトで推移している。
 外国人たちは普通の作業着で働いているものの、線量計は身につけていた。だが、自分たちがどのくらい被ばくしているか、その数値は把握していなかった。
 外国人技能実習制度は、途上国の人たちが日本で学んだ技術を母国で生かせるよう「人づくり」に協力する国際貢献が目的とされている。
 彼らの経験は母国で生かせるだろうか。
 確かにベトナムにも原発の建設計画が存在した。インフラ輸出を成長戦略に掲げる日本などが建設を受注して、2028年にも稼働する予定だった。しかし、ベトナム政府は16年11月、資金不足に加え、福島第1原発事故による住民の反発の高まりを受けて、建設中止を決めた。
 外国人建設就労者の2人は外国人建設就労者受入事業によって昨年、再来日した。日本政府は東京五輪・パラリンピックに向けた建設需要の増大を見込み、「大会の成功に万全を期する」目的で、15年4月にこの事業をスタート。技能実習を終了した外国人を対象として、さらに2~3年、日本で働く資格を与えている。
 6人はベトナムから来日する際、渡航費などで日本円にして約120万~150万円の借金を背負ってきた。実習生は月10万円ほどの手取りから、借金を返し、家族に仕送りをしなければならない。建設就労者なら給料が日本人並みにアップする。
 台所に立つ外国人たちに視線を向けた社長は「現場でも仕事がよくできると評判で、本当に助かっているよ」と話した。だが、「(実習生として)最初の3年で借金を返して、本当に稼げるようになるのは(建設就労者として働くようになる)4年目からだよな」ともつけ加えた。
 この会社の従業員は彼ら6人と日本人3人。約30年前の会社設立時は20代の日本人だけで20人以上いたが、今では外国人が中心だ。「職人をイチから育てているのはうちみたいな末端の会社。でも今、日本人の若いのを育てるのなんて難しいですよ。うちも何人辞めていったか、数え切れない。春に入っても夏の現場を経験したら、まず辞めちゃうからね。でも外国人は耐えるんだよ。莫大(ばくだい)な借金をして日本に来ているから、3年間は帰れないし、耐えるしかないんだ」。社長は言った。
 建設業界はバブル崩壊後に常態化した不況と公共事業削減の流れの中、縮小の一途をたどってきた。それが、東日本大震災の復興事業に始まり、東京五輪・パラリンピックに向けた施設整備や大規模再開発事業、さらに27年開業予定のリニア中央新幹線建設と続き、大手ゼネコンは最高益を更新している。
 その裏側で現場の人手不足を補っているのが外国人だ。建設業就業者はピークだった約20年前から3割減って498万人(17年)。55歳以上が3割を占める一方、20代以下は1割まで落ち込み、高齢化が進んでいる。そんな中、17年に建設分野で働いた外国人は5年前の4倍超の約5.5万人に膨らんだ。そのうち技能実習生が3.7万人を占める。

今を耐えて

 彼らの本心を聞こうと思い、作業のない日に一軒家を再訪した。
 --どうして、日本に来ようと?
 昨年来日したばかりで、日本語をほとんど話せない1人は言った。
 「おかね」
 彼の先輩が横で解説する。「ベトナムは1カ月だいたい5万ね」。1年半前に来日した男性は前の会社でいじめにあったという。「周り日本人ばかり。ものすごく厳しい。社長もたたいた。給料も7万、8万、5万のときもあった。辞めたほうがいいね」
 --お金のためなら日本でなくても良かったのでは?
 別の男性が答えた。「韓国は日本よりもっと給料いいから、行きたかった。でもビザ取りにくいね」
 --日本で働いた後はどうする?
 「もう体疲れた」「結婚したい」「ベトナムで30歳から仕事探すの難しい」
 「建設業したくない。からだ使う」「ベトナムの建設業、給料高くない。みんなやりたくないです……」
 グエンさんは日本語通訳者になりたいという夢を持っている。使い込んだ2冊のテキストを見せてくれた。ただ、日本で通訳として働くための在留資格を得るには、最低限「新聞記事や平易な評論などを読んで文章の内容を理解することができる」レベルの日本語能力検定2級以上の取得が欠かせず、学歴も必要となる。ハードルは高い。「日本語、もっとうまくならないとだめなんだ」。グエンさんは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
 今夏には3年間の実習期間が終わる。それから数カ月したら再来日して、建設就労者として2年働くつもりでいる。ちょうど、東京が五輪に沸いているであろう20年まで。だが、その後、彼が日本で通訳として働きたいと思っても、見通しが立っているわけではない。
 6人とも、原発で働いていることは家族に明かしていない。「秘密。言わないがいいです」「心配する。(家族に)帰れ、言われます」。一人は伏し目がちに「(線量は)低い。だけど、心配。長い時間やると良くないです」とつぶやいた。
 今を耐えて、日本での仕事や生活を案じる親や妻、子どもたちにはスマホの画面を通して笑顔だけを見せたい。彼らの共通する思いだ。
    ×  ×  ×  ×
 東京電力は17年2月、福島第1原発に外国人技能実習生を受け入れない方針を示し、幹部も記者会見で「技能実習は日本で勉強して自分の国に帰って広めていくという取り組みなので、我々なりの制限を入れて環境を守りたい」と話していた。今回、毎日新聞の取材に対し、東電は「元請け会社との契約書類において技能実習生の就労を認めないことを明記し、17年4月から運用開始した。非管理区域においても認めていない。福島第1原発での技能習得は外国人の技能実習制度の趣旨にそぐわないものであり、契約に反するものであると考える。今回の件を踏まえ、改めて元請け会社へ在留資格の確認の徹底を求めるとともに、当社としても管理区域外を含めて在留資格を調査し、契約管理を強化してまいりたい」とコメントした。

https://mainichi.jp/articles/20180501/k00/00m/040/122000c

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