10月6日に閉場する東京都の築地市場(中央区)には、64年前に米国の水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」が漁獲したマグロが埋められた。汚染された「原爆マグロ」が持ち込まれて日本の台所が大打撃を受けた歴史は、正門脇に掲げられたプレートに刻まれているが、市場解体後はその扱いが決まっていない。元乗組員らは22日、都内で集会を開き、「平和の道しるべに」と保存を訴えた。
64年前の事件、伝えたい
市場正門脇の白い壁には、マグロのイラストが入ったプレートがひっそりと掲げられている。「放射能汚染が判明した魚などは消費者の手に渡る前に市場内のこの一角に埋められ廃棄されました」
第五福竜丸の魚は1954年3月16日、トラックで築地市場に持ち込まれた。検査で複数のマグロやサメが放射性物質に汚染されていると分かり、市場内の一角に埋められた。量は2トンともされる。
「原爆マグロ」のあおりで、他の鮮魚の値段も暴落。都は放射線の検査を通過した魚に「合格印」を押し、卸や仲卸業者とともに宣伝カーやビラで安全性をアピールした。それでもパニックは収まらず、市場近くにある飲食店の売れ行きまで下がった。
都は96年、地下鉄大江戸線の建設工事に併せ、マグロが埋められたとみられる正門付近を発掘。だが、マグロの骨などは見つからなかった。元乗組員の大石又七さん(84)が第五福竜丸事件を伝える講演活動を始めたのはこのころだ。差別や偏見を恐れたが、核廃絶への願いから沈黙を破った。有志と全国の講演先で子供たちから1人10円を募り、99年にプレートをつくった。
本当は「マグロ塚」と名付けた石碑を市場内に置きたかった。だが、市場は当時、再整備問題に揺れており、都は都立夢の島公園(江東区)で保存・展示している第五福竜丸のそばに碑を仮置きし、プレートだけ市場に掲げるのを認めた。
10月11日に開場する豊洲市場(江東区)への移転に伴い築地市場は解体され、跡地は2020年東京五輪・パラリンピック用の駐車場になる。都は解体工事の仮囲いなどにプレートを設置する方針だが、五輪後の再開発計画は未定でプレートの長期的な扱いは決まっていない。原爆マグロも所在不明のままだ。
第五福竜丸の乗組員で最初に亡くなった無線長・久保山愛吉さん(当時40歳)の命日前日の22日、大石さんたちはマグロ塚の近くで慰霊の集会を開いた。約50人を前に大石さんは語気を強めた。「人間はいずれ言葉を失うが、石は何年先でも残り、平和の道しるべになる」。市場を襲った記録の保存と記憶の継承を求めた。【森健太郎、市川明代】
【ことば】第五福竜丸事件
1954年3月1日未明、米国が太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で実施した水爆実験により、約160キロ先で操業中だった静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が放射性物質を含んだ「死の灰」を浴びて被ばくした。米国が日本に200万ドルの見舞金を支払うことで政治決着したが、原水爆禁止運動が広がるきっかけとなった。
https://mainichi.jp/articles/20180923/k00/00m/040/117000c
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