2017年4月25日火曜日

事実を覆い隠しても、歴史は捩じ曲げられない。


被曝と被曝。

広島平和記念資料館には、
内部被曝に関する展示がない。
奇形児に関する展示も、ない。



「原爆は過去の話ではありません」 被爆再現人形の撤去について、24歳のボランティアガイドが考えたこと

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決まったことじゃし仕方ないか。


と思っていたのですが、やはりそれではいけないと思い、先日の「意見の重さを知って欲しい」 原爆ドームのイルミネーションについて、24歳のボランティアガイドが考えたこと(http://www.huffingtonpost.jp/masaaki-murakami/hiroshima-illumination_b_16143902.html
に続いて記事を書きたいと思います。
平和記念資料館のリニューアルに伴い、原子爆弾による熱線で火傷を負った被爆者の姿を再現した人形が明日、4月25日で平和記念資料館の展示品から撤去されます。
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これについて自分は知り合いの被爆者や平和公園を訪れる人などに意見を聞いてきたのですが、実は今まで「撤去した方がいい」という人は1人も会ったことがありません。むしろ「残して欲しい」とほとんど全員の人が答えるのです。
では、なぜ撤去されるのでしょうか?
広島市はホームページで人形の撤去について
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凄惨な被爆の惨状を伝える資料については基本的にありのままで見ていただくべきという方針の下、この度被爆再現人形を撤去することとしたものであり、見た目が恐ろしい、怖いなどの残虐な印象を与えることなどを懸念して撤去するものではありません。
(中略)
被爆再現人形は、非常に印象に残り、当時の情景を伝えているという展示だというご意見があります。しかし、一方で被爆者の方は、無残な遺体がたくさんあり、男女の区別さえつかず、親子でさえ見分けることができない情景を体験されています。そうした状況からは、被爆再現人形に対して「原爆被害の凄惨な情景はこんなものではなかった。もっと悲惨だった」といったご意見もあります。展示をご覧になられる方の見方によっては、原爆被害の実態を実際よりも軽く受け止められかねません。来館された全ての方々に悲惨な被爆の実相を現実に起こった事実として受け止めていただき、こうした惨劇を今後二度と繰り返してはならないという思いを心に刻んでいただきたいと考えており、そのためにも誰が観覧しても個々人の主観や価値観に左右されない実物資料の展示が重要と考えております。
と、説明しています。
つまり
「怖いから」
ではなく、
「実物ではない」
「被爆者からはこんなものではなかったという声がある」
「原爆の被害が軽視されてはいけない」
から、撤去するのです。(本音と建て前がある気もしますが。)
自分は最後にもう一度見ておこうと先週資料館を訪れました。改めて人形をじっくり見て恐怖を感じると共にいろいろな事を考えました。
確かに被爆者の中には、当時の状況はこんなものでは無かったと言う方もいます。実際に自分も言われたことがあります。
実際は顔は真っ黒に焼けて男か女かも分からない、服は引き裂かれ丸裸同然、そのような人がこの人形のように3人だけではなく、何十人もぞろぞろと列になって郊外にゆーっくりと歩いて行ったそうです。
当時の状況については広島平和記念資料館平和データベースの『被爆者証言ビデオ』(http://a-bombdb.pcf.city.hiroshima.jp/pdbj/search/col_testify)や『原爆の絵』(http://a-bombdb.pcf.city.hiroshima.jp/pdbj/search/col_pict)から確認してみてください。
『原爆の絵』では〝逃げる〟や〝行列〟というキーワードで調べると、市内から郊外に向けて火災から逃れるために行列をなして逃げていく被爆者の絵を見ることが出来ます。
そこでは「もっと悲惨な状況」が描かれていますら、
『原爆の絵』を見る際に被爆者の描いた絵をただの資料としてだけではなくて、当時の状況や描いた人の心情なども一緒に考えながら見てもらえたらと思います。絵にするということは再び思い出すし、一生形に残り忘れることが出来ないということです。
また、話をするということはその都度、辛い記憶を掘り起こすということです。体験者の中には〝生き残ってしまった〟という罪の意識を持って生きている人も多くいますが、この歴史を繰り返さない為にこのように自分たちに伝えてきました。もちろん今でも当時のことについて全く話さない、話せない人も多くいます。そう考えると『原爆の絵』や被爆証言などがどれだけ貴重なものか分かると思います。(これは原爆だけでなく、どんな戦争にも当てはまります。)
実際に起きたことを考えると、確かに広島市の言う通り、人形によって原爆の被害が軽視されてしまう恐れがあります。
しかし、被爆者で「こんなものでは無かった、もっと悲惨だった」という人でも「だから人形を撤去して欲しい」思っている人は会ったことがないし、ほとんどいないのではないかと思います。それは、当事者達は原爆を伝えていく過程で、伝えることの難しさを身にもって体験しているからです。
ちなみに、現在資料館に展示してある人形は2代目です。1代目は蝋人形で1973年から資料館に展示されることになりました。現在のものはプラスチック人形で1991年から現在に渡って展示してあります。
見る人によって受け取り方は違いますが、昔の蝋人形の方がもっと怖かったという人も多くいます。もちろん、怖ければいいというものではないのですが、被爆者の現在の人形に対する「こんなものではなかった、もっと悲惨だった」という声から考えると、当時のものの方がより実際に起きたことに近かったのではないかと思います。
これに限らず、被爆者や資料館を訪れた人の多くが「昔の方が原爆の悲惨さを感じた。」「資料館の中身がどんどん綺麗になっていく」と言います。
ただ、人形については1代目の時にも同じように被爆者から「原爆の被害はこんなものではない」という声があったそうです。
そう考えると想像を絶するようなあの地獄のような体験はそもそも形にする事は出来ないのかもしれません。
しかし、被爆者が「こんなものではなかった」と言う人形ですら、資料館を訪れる人達にとっては1番衝撃的で、恐怖を身にもって感じる展示なのです。
原爆を経験していない世代にとって、原爆の悲惨さは信じられないような話です。
想像するのも簡単ではありません。
その世代が、原爆の悲惨さを実感するための1つのきっかけとして被爆人形が重要な役割を担ってきたのではないでしょうか。
先日ガイドした大阪出身の女性もこのようなことを言っていました。
「小学校5年生の時に修学旅行で広島に来て資料館に行きました。焼けた服などは覚えているのですが、それだけではなにか、すごい遠いことのように感じて、けど、あの被爆人形を見て、同じ目線に立って、怖かったけど、ああ、なるほどと少し当時の事を想像することが出来たんです。」
この人形すらも、無くなってしまったら、どうやって原爆の悲惨さが伝えられていくのでしょうか。
現在の展示の横に「被爆者からは、実際はもっと悲惨な残酷な状況だったという声もあります。」と、書いて、横に被爆者の書いた絵を一緒に展示したり、または被爆者から意見を集め、もっと実際に起きたことに近い人形を作り直すことも1つの手段ではないでしょうか。
また、実物の持つ重要さを理解した上で、二度とこの歴史を繰り返さない為に製作された〝作り物〟の重要さも理解しなければと思います。
このことについて、鍋島唯衣さんが広島市立大学開学20周年学生平和論文コンテスト(http://www.20th.hiroshima-cu.ac.jp/)で最優秀賞を受賞した、
被爆再現人形は何を伝えてきたのか ―被爆再現人形撤去を巡る論争を手がかりに―
という論文の中でこのように書いています。
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被爆者がいなくなる時代を目前に控えて、被爆者に直結した「記録」を重視できるだけ多くの被爆者の声を伝えていこうとする試みには、もちろん意味がある。しかし、そうした「記録」が陳列されるだけで、私たちは被爆の「実相」を理解できるのだろうか。被爆再現人形は、当初は被爆者への聞き取りに基づいて制作されているし、被爆再現人形が純粋な「記録」ではないというだけで、原爆とはどれほど悲惨な出来事であったのか伝えることができないというのは、あまりに短絡的である。音楽評論家の東琢磨は、被爆再現人形が広島の被爆後の貴重な証人として果たしてきた歴史的役割に議論が展開することもなく、「作り物」対「実物」という二項対立に議論がすり替えられてしまったことを問題視している。また、「作り物」を軽視あるいは否定するということは、これまで文学作品や映画、美術作品などの「作り物」が原爆とは何かをありありと伝えてきたこと自体の意義にも関わってくる問題になるとしている。
被爆再現人形が示すフィクションならではの迫真性には、単なる記録だけでは伝えきれない出来事のリアリティがある。実際、文学や映画、美術に関わる人々はそうしたフィクションがもつ力に注目し、悲惨な出来事を伝えようとしてきた。長田新が編纂した文集『原爆の子――広島の少年少女のうったえ』を、日本教職員組合が映画化を決定し、関川秀雄監督により1953 年に制作された映画『ひろしま』は、その一例といえるだろう。この映画では、広島市民約9万人のエキストラによって、逃げ惑う被爆者の群集や救護所の惨たらしい光景がリアルに再現されている。制作から60年以上が経過した今、原爆という出来事の細部以上に、出来事自体の強烈さを、観る者に語りかけてくる。まさに『ひろしま』は、原爆という出来事のリアリティを映像のインパクトをもって伝えようとする試みだった。こうした精神の一端は被爆再現人形のインパクトにも現れているのではないか。
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彼女が論文の中で言っている被爆再現人形が示すフィクションならではの迫真性というものを大切にして欲しいです。
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先日紹介した寺尾興弘さんのステンドグラスの模型も〝作り物〟ですが、訪れる人に原爆の悲惨さと平和の尊さを訴えています。
ただ、〝作り物〟を展示する際、やはりそこにあるだけではなく、丁寧に人によって説明を加える事で、〝作り物〟のメッセージが見る人に伝わるのではないかと思います。
被爆再現人形についても、「怖いかもしれないけど、本当にここで起きた事だから目を逸らさずしっかり見てね」や、「被爆者の中にはもっと悲惨だったっていう人もいるんだよ」など、一言入れる人がいるだけで、また伝わり方も変わってくるのではないかと思います。
とにかく、被爆再現人形については本館のリニューアル中に新しくオープンする東館での展示など、人目につくところで原爆の悲惨さを引き続き伝えていって貰いたいです。
記事の最初に書いた
決まったことじゃし仕方ないか。
という言葉があります。
なんでも「仕方ない。」
と言ってしまえば簡単です。
けど、そう言ってしまうことによって、今起きている問題が、過去の問題になってしまうと思うのです。
オバマ大統領の訪問から半年の時にも記事を書きました。
http://www.huffingtonpost.jp/masaaki-murakami/obama_hiroshima_b_13261164.html
掘り起こさないとすぐに過去の話になってしまうからです。
原爆も72年経ったからといって過去の話になってしまっています。
しかし、被爆者はまだ生きているし、病気やトラウマと戦っている人もまだいます。
原爆は過去の話ではありません。
72年経った今でも影響が続いています。
その72年経ってもまだ、人体に影響を及ぼすこの非人道性から現在核兵器について法的に禁止しようと国連で話し合いが行われているのです。
残念ながら日本は核兵器禁止条約には反対の立場を取っています。
反対しているのも問題なのですが、平和公園でガイドをした人達にこのニュースについて知っているかを聞くとほとんどの人が知らないのです。
無知は罪と言いますが、無関心がもっと大きな問題なのではないかと思います。
今起きていることから目を逸らして勝手に過去の話にしないように。
仕方ないで終わらせず、一人一人が責任を持って考えていくことが必要なのではないかと思います。
それは、政治を見ていても同じことを感じます。
空気や流れだけで物事が進んでいくのではなくて、もっとひとつひとつの問題を結論ありきではなく、深めていけたらと思います。
72年経つ今だからこそ学ぼう。
そして伝えていこう。
ブログ「24歳が原爆を伝えるガイド日記」
http://ameblo.jp/masa7891011
twitter
@abombguide
Instagram
peacepark_masa
http://www.huffingtonpost.jp/masaaki-murakami/hiroshima-peace-memorial-museum-display_b_16201594.html

2017年4月24日月曜日

矛盾に対峙することしか、現実を乗り越えられない。


子どもたちに食べさせてはいけない。



「戦争よりも酷い状態」。

繰り返している。
症状を悪化させながら。

「自らの国のあり方や、国力や、軍事力について、正確な言葉を用いなくなったことで、この国は暴走し、あの愚かで無意味な戦争に突入してしまったのです。言葉が歪むことで、人々が事実から目を背け、事実でないものに対処することで、すべての行動が無駄になり、無駄どころか事態を悪化させます。そして正しい言葉を使おうとする者は「非国民」扱いされ、口を封じられ、
それでも封じないと殺されました。こういうことが続くことで、表面上の平穏が維持され、やがて暴走が始まり、最後に破綻したのです。」