2018年11月26日月曜日

台湾、福島原発事故による日本産食品輸入規制を継続。

台湾の中央選挙委員会は25日、東京電力福島第1原発事故以降続けている、
福島、茨城、栃木、群馬、千葉、
5県の日本産食品に対する輸入規制継続の是非を問う住民投票について、「継続賛成」が多数を占めて成立したと発表した。

https://www.swissinfo.ch/jpn/%E5%8F%B0%E6%B9%BE-%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%AE%E9%A3%9F%E5%93%81%E7%A6%81%E8%BC%B8%E7%B6%99%E7%B6%9A%E3%81%B8/44569396

2018年11月20日火曜日

「骨髄で血液のもとになる成分が減ったり、胎児の成長が遅れたり」

原発事故

福島の野生ニホンザルに放射性物質の影響か

福島市内に生息するニホンザル=羽山教授のチームの今野文治さん提供

二つの研究チームが米科学誌に報告

 福島県内に生息する野生のニホンザルについて、福島第1原発事故後、成獣の骨髄で血液のもとになる成分が減ったり、胎児の成長が遅れたりしたとする研究成果が米科学誌に相次いで報告された。事故で放出された放射性セシウムを木の皮などの食べ物から取り込んだことなどによる被ばくの影響の可能性があるという。
 成獣を調査したのは、福本学・東北大名誉教授(放射線病理学)らの研究チーム。福島第1原発から40キロ圏内にある南相馬市と浪江町で事故後に捕殺されたニホンザルを調べ、成獣18頭で骨髄中の成分を調べ他の地域と比べた。その結果、血小板になる細胞など血液のもとになる複数の成分が減っていた。さらに、一部の成分は、筋肉中の放射性セシウムの量から推定される1日あたりの内部被ばく線量が高い個体ほど、減り方が大きくなっていたという。福本さんは「健康への影響が表れるのかなど、長期的な調査が必要だ」と話す。
 また、羽山伸一・日本獣医生命科学大教授(野生動物学)らの研究チームは、福島市が個体数調整のため2008~16年に捕殺したニホンザルのうち、妊娠していたメスの胎児を調べた。原発事故前後の計62頭のデータを比較したところ、事故後の胎児は事故前に比べ、頭の大きさが小さく体全体の成長にも遅れがみられた。母ザルの栄養状態には変化がなく、チームは事故による母ザルの放射線被ばくが影響した可能性があると結論づけた。

人とサル、異なる被ばく量

 羽山教授は「サルは森で放射性物質に汚染された食べ物を採取していた上、線量が高い地面に近いところで生活していたため、人に比べて被ばく量が桁違いに多いはずだ」としている。
 環境省が実施する野生動植物への放射線影響の調査対象にニホンザルは含まれておらず、日本霊長類学会など5学会は、ニホンザルを対象に含めることなどを求める要望書を同省に提出した。同学会の中道正之会長は「ニホンザルは寿命が20~30年と長く、定住性もある。世界的に見ても、ニホンザルへの長期的な影響を調べることは極めて重要だ」と話した。【須田桃子】

https://mainichi.jp/articles/20181120/k00/00e/040/253000c

「行き場を失った彼らが、生活をするためのよりどころとして辿り着いたのが福島第一原発」

原発廃炉の作業員になった

「ヤメ暴」――

行き場のない人間が

辿り着いた場所


11/19(月) 7:46 配信



全基廃炉に向けて、いまなお懸命の作業が続く東京電力の福島第一原発。周辺の汚染された地域では除染作業も続く。その“日本で最も危険な場所”ともいえる現場で働く元ヤクザたちがいる。暴力団への締め付けが厳しくなるなか、ヤクザをやめても仕事はなく、暮らしはままならない。行き場を失った彼らが、生活をするためのよりどころとして辿り着いたのが福島第一原発だった。その“現実”を当事者たちに聞いた。(取材・文=今西憲之、鈴木毅/Yahoo!ニュース 特集編集部)

強化される「身元調査」

東京電力の福島第一原発敷地内に廃炉作業の拠点として2016年に完成した新事務本館。今春、その最新鋭の建物の一室に呼び出された作業員は、向かい合った東電の面接官から矢継ぎ早に質問された。
「暴力団との関係はありますか?」
「過去5年に懲役刑は?」
「海外への渡航歴は?」
1対1の面接で根掘り葉掘り過去を聞かれる。
原子力規制委員会がテロ防止のために電力会社に義務づけた「身元調査」だ。
原発作業員に対して、住民票など身元を証明するものを提出させ、海外渡航歴や薬物歴、犯罪の前科、暴力団やテロを行う恐れのある組織との関係などを自己申告に基づいて調べる。中央制御室や放射線管理区域などに立ち入ったり、重要情報に接したりする作業員たちを対象に2017年11月から始まった。それが“末端”にまで広がってきたのである。
廃炉作業が進む福島第一原発(撮影:横関一浩)
「もちろん元ヤクザだなんて言えません。『過去にはやんちゃしていたけど、この5年間は警察の世話になったこともない』というくらいの話でごまかして、なんとか乗り切りました。
面接官の関心はむしろテロ組織とのつながりで、海外渡航歴を執拗に聞かれましたが、そっちはたまに東南アジアに遊びに行くくらいですからね」
そう語るのは、数年前からフクイチの現場で汚染水処理関連の作業に従事する40代後半の岸田孝雄さん(仮名)だ。作業服に身を包み、穏やかな表情で淡々と語る姿からは想像しにくいが、以前は指定暴力団6代目山口組の直参組長に側近として仕えていた人物である。警察が作成したある抗争事件の捜査資料にも、岸田さんの名前は「組幹部」として載っていた。
10年ほど前にヤクザの世界から足を洗い、職を変えながら辿り着いたのが、フクイチの現場だった。
原発作業員としてフクイチで働く岸田さん(撮影:横関一浩)
「まさかヤクザから原発の仕事に転身するなんて思ってもみませんでした。原発の現場に入るのはさすがに審査が厳しいだろうと不安でしたが、実際はザルで誰でも仕事ができた。現場には、数年前まで元ヤクザや前科者がゴロゴロいましたよ。ただ、とにかく人手が必要だった“急性期”は終わったのか、ここ2~3年で審査が厳しくなって、いまはもう、スネに傷をもつ人間はなかなか中に入れません。すでに働いていた人たちも、今年に入って身元調査が厳しくなるというウワサが流れて、過去がバレる前に辞めようと去っていった。いま残っているのは、過去はなんであれ、“プロの職人”です」

下請け会社に紛れ込む暴力団

フクイチの現場では全基廃炉に向けて、今も終わりの見えない闘いが続いている。東電によると現在、敷地内では1日当たり約4230人(東電社員を含む)が働く。
廃炉の作業は、完了するまでに30~40年かかるとされ、事故処理の費用は20兆円を超えると試算される。しかも、「コントロールされている」とされる放射性物質が混じった汚染水は、今この瞬間もたまり続けている。この9月には東電が、汚染水をためたタンクから放出基準値の最大2万倍にあたる放射性物質が検出されたことを発表した。
上記の作業員数は東京電力の社員もふくむ。東電のまとめを元に編集部で作成(図表:EJIMA DESIGN)
廃炉や除染の現場は常に人手不足だ。
作業員募集の流れは、「東電(周辺地域の除染作業では環境省や自治体)→元請け会社(メーカー、ゼネコン)→1次下請け→2次下請け→3次下請け……」という構図になっている。もちろん、元請けのメーカーやゼネコンは暴力団の徹底排除を謳っているが、下位の下請け会社の中には暴力団の企業舎弟も紛れ込んでいるのが実態だ。
警察庁がまとめた2012年上半期の「暴力団情勢」では、〈被災地の復旧・復興工事に労働者を違法に派遣するなど、震災の復旧・復興事業に介入している実態がうかがえる〉と指摘されている。すでに事件化したケースもあり、新聞報道によるとこれまでに違法に除染作業員を派遣したとして2013年に住吉会系組員が、2015年には山口組系組員が逮捕された。2017年9月にも山口組系組長が逮捕されるなど、摘発が相次いでいる。
危険を伴い、人が集まりにくい作業で、そこに巨額の公的資金が投入されている。原発作業員や、さらに多くの人員を必要とする周辺地域の除染作業員は、復興マネーを狙うヤクザにとって大きなビジネスチャンスになっているのは間違いない。
放射線量が高い「帰還困難区域」の出入り口は警察が厳重に警備している(撮影:横関一浩)

生活に困ったヤクザにちょうどいい

もっとも、冒頭の岸田さんのような暴力団を離脱した組員、いわゆる「ヤメ暴」のケースは、復興ビジネスとして暴力団が入り込むケースと、また違う一面がある。
「ヤメ暴たちの『再就職』事情」で紹介したように、暴力団対策法や暴力団排除条例などの整備や、捜査当局の取り締まり強化によって、いまやヤクザは「食えない職業」になった。ヤクザをやめた後も、おおむね5年間は暴力団関係者とみなされ、銀行口座開設や住居の賃貸契約などが制限される。仕事にもなかなかありつけない。元ヤクザたちは厳しい現実に直面しているのだ。
それだけに、廃炉や除染の現場は、こうした行き場を失った元ヤクザたちが最後に行き着く場所にもなっている。3次下請けの原発作業員として働く牧野哲夫さん(仮名)が、こんな話をしてくれた。
「自分はこれまで10人くらい、原発作業員として元ヤクザを入れました。会社と話して1人につき1日2000円くらい斡旋料をもらっていた。懲役のときに刑務所で知り合ったヤツが中心。中には出所時に刑務所まで出迎えにいって、そのまま連れてきたこともある。自分の給料と合わせて、多いときで月100万円以上の金額をもらっていましたね」
牧野さんら、作業員の働く現場。ヘルメットがズラリと並ぶ(写真:ロイター/アフロ)
そう話す牧野さん自身、背中に大きな入れ墨がある。20年近くその世界で生きてきた山口組系列の元組幹部である。
「シャバではヤクザがますます厳しい状況になっています。生活に困った元ヤクザはいくらでもいる。みんな元ヤクザの肩書を背負って世間で生きていくことが、どれだけ厳しいかよく分かっている。作業員になれば、会社の寮にも住めるし、食いっぱぐれた元ヤクザにはちょうどいいですよ」
危険で敬遠されがちな仕事だからこそ、“社会から放り出された人間”でもお呼びがかかる。「みんなキレイごとを言っていますが、自分たちのようなヤクザ者がいなければ、原発の収束作業はどうにもならなかった」――牧野さんは、そう自負する。

組長の「お付き」からデリヘル運転手へ

岸田さんが生まれ育ったのは東海地方。ヤクザの道を歩み始めたのは20歳を過ぎたころだ。中学、高校時代はやんちゃに明け暮れた。高校中退後は地元でフラフラするばかりで、たまにバイトで稼ぐような日々。そこを偶然、地元の先輩にスカウトされてヤクザの世界に入った。当初は“腰掛け”のつもりだったが、組長に気に入られ、以来十数年、ヤクザとして生きてきた。
「いまは一作業員なんで、作業するしかない」と岸田さん(撮影:横関一浩)
「組長にずっとつく“お付き”がヤクザとして一番長くかかわった仕事でした。例えば、組長が神戸の山口組本部に上がるときは、常に周辺に異常がないか、襲撃の危険性がないか確認しながら同行します。緊張の連続でしたが、組長はとても情に厚く、子分にも気遣いを欠かさない。誇りに思える人物で、自分も必死で仕えてきました」
しかし、転機が訪れる。所属する組が抗争に巻き込まれ、事件になったのだ。
「組幹部をはじめ逮捕者が出て、自分もパクられてしまった。仲間の何人かはヒットマンの嫌疑をかけられた。事件をきっかけに組の内部がギクシャクし始めて、出所後も戻るに戻れない状況になってしまいました。それで、何かが自分の中で切れてしまって、ヤクザとは縁を切る生活を始めたのです」
しかし、元ヤクザの働き口は限られている。地元を離れ、友人のつてでなんとか都内のデリバリーヘルスで女性の送り迎えをする運転手の職を得たが、2011年の東日本大震災で店の売り上げが激減し、仕事がなくなってしまった。
その後、同郷のラーメン店の店主に拾われ、スタッフとして働き始めたが、これも2年ほどで経営不振から閉店。「またしても仕事を失って、どうしようかと途方に暮れていたときでした。ヤクザで同じ組にいた元同僚から連絡が来たのです」と岸田さんが振り返る。
(撮影:横関一浩)

30人いれば10人はヤクザ者

“旧友”はフクイチの中で仕事をしていた。聞けば、労働時間に比べて報酬はかなりいいという。人手不足だから、ぜひ来てほしいというのだ。
「月50万円は堅いということでした。元ヤクザでも大丈夫なのかと不安でしたが、現実に彼は中に入って仕事をしている。それならば、と紹介してもらうことにしたのです」
元同僚が所属していたのは、原発事故の収束作業をしている3次下請けの会社だった。岸田さんには原発の知識もなければ、現場作業の経験も若いころにやったアルバイト程度。しかも元ヤクザ。それでも履歴書の職歴に「ラーメン店勤務」と書き、面接を受けると、あっさり採用された。
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
初めて原発敷地内に入った日のことは、よく覚えている。放射性物質に触れても体に付着しないように白い防護服を着て、手首や足首をテープできつく巻く。顔には全面マスクをつける。
「怖くないといえばウソになります。顔や手足が締めつけられ、じっとしていてもすごい汗。緊張して心臓がバクバクしているのが分かりました。自分みたいな人間が、原発事故の収束作業という、こんな大それた仕事をしていていいのか、と思いましたよ」
そんな疑念もすぐに消えた。作業が終わって着替えるとき、ふと見回すと、あちこちに入れ墨姿が。明らかに小指がない者もいる。
「30人いれば、10人はヤクザ者でした。突っ込んだ話はしませんが、お互いその世界にいたからすぐ分かる。そういう場所なんだ、と思いました」
言うまでもなく原発内での作業は常に危険と隣り合わせだ。特に汚染水処理関連の作業には細心の注意が必要で、防護服の上に専用の分厚い雨がっぱという重装備で作業に当たる。
「夏場の暑さは想像を絶します。作業は1時間もできない。立ちくらみが起き、息もできなくなる。熱中症寸前です。そこで倒れたら会社の管理問題になってしまうので、踏ん張るしかない。ヤクザのときよりつらい経験でした」
福島第一原発事故で汚染水のタンクを設置する作業員ら(写真:毎日新聞社/アフロ)
しかも、現場での作業は被曝から逃れることはできない。作業員の被曝線量の上限は、国の基準として「1年間で50ミリシーベルト」「5年間で100ミリシーベルト」と決まっているが、1日で1ミリシーベルトを超えることもある。
「つい最近も、仲間が作業中に高濃度の汚染水を全身に浴びてしまった。防護服の上からでもかなりの被曝で、すぐに除染をしたから大事には至らなかったものの、一歩間違えば命にかかわっていた」
さらに厳しいのは、原発作業員の仕事が「割に合わなくなってきている」ことだ。以前に比べて日当は確実に下がっている。1年ほど前には、3次下請けの作業員にも社会保険の加入が義務づけられた。保険料が日当から差し引かれ、「やっていられない」と何人もの仲間が辞めていった。
数年前に月50万円以上あった岸田さんの給料は、いま月30万円に届かない。年2回、ボーナス代わりに「危険手当」をまとめてもらえるが、それもこの先、十分な金額が出続けるか分からない。もはや“おいしい仕事”ではなくなりつつあるのだ。
除染で出た廃棄物は二重構造の「黒い袋」に入れられて管理・保管される(撮影:横関一浩)
それだけに、「多くの元ヤクザたちが、条件の緩い除染作業のほうに流れている」と岸田さんは言う。その状況は、元ヤクザを“斡旋”する側の前出・牧野さんの証言からも裏付けられる。
「今では原発の仕事もすっかり管理が厳しくなって、たとえヤクザをやめていても簡単には入れません。収入も一時期ほどよくないので、周辺地域の除染作業に人を回していますよ。除染作業は原発内の仕事ほどやかましいことを言われない。だから、そっちに人を送ればいい。まだまだビジネスチャンスはあるので、稼がせてもらおうと思っています」

「帰還困難区域」で進む復興作業

原発事故でまき散らされた放射性物質の除染作業は、放射線量が高いため長期間帰宅できない福島県内の「帰還困難区域」(双葉町、大熊町など)を除き、2017年度末でおおむね終わったとされる。環境省直轄で除染が進められてきた福島県内の11市町村を含め、8県100市町村の作業で投入された作業員の延べ人数は約3200万人、計上された国費は約2兆9000億円に上る。
2017年度からは、「帰還困難区域」の一部での除染作業が始まり、さらに、これまでの作業で「仮置き場」にためられた膨大な廃棄物の運搬・処理という作業も残っている。
JR常磐線の双葉駅では新駅舎の建設が始まっていた(撮影:鈴木毅)
フクイチから直線で4キロほどの距離にある、双葉町のJR常磐線・双葉駅。9月下旬に訪ねると、町のシンボルである駅舎のからくり時計は、今も東日本大震災があった午後2時46分を指したまま、止まっていた。
原発事故以降、「帰還困難区域」に指定されて無人となったこの町で、この日はトラックやダンプカーがひっきりなしに走っていた。駅舎では大きな重機がうなりをあげている。「こっちだよ」と作業員の大きな声が響く。これまで「死の街」だった双葉町に、不思議な活気が戻りつつあった。
作業現場では必ず放射線量が計測されている(撮影:横関一浩)
JR双葉駅から延びる目抜き通りでも除染と家屋の解体が進む(撮影:横関一浩)
一時帰宅中の住民が説明してくれた。
「国の『特定復興再生拠点』の事業で、双葉町の一部をモデル地区として徹底的に除染し、住民を帰還させる計画があるそうです。『復興五輪』を掲げる2020年東京五輪に合わせた動きです。同年春には、一部不通になったままのJR常磐線を全線開通させる計画で、いま双葉駅の新駅舎の建設が急ピッチで進められているのです。もちろん、今、住んでいる人はいません。除染してもどれだけ帰ってくるのか……」
町中では、震災直後からそのままになっている家屋の解体作業と除染作業が進められていた。町の外れには、3カ月前にはなかった新たな「中間貯蔵施設」が姿を現していた。除染作業で削り取られた汚染土や草木などの廃棄物を詰めた二重構造の「黒い袋」(フレコンバッグ)が、うずたかく積み上げられている。「30年以内」とされる最終処分までの間、ここで管理・保管されるのだ。
双葉町に現れた「中間貯蔵施設」に積まれたフレコンバッグ(撮影:横関一浩)

熊本地震や西日本豪雨災害にも

除染作業を請け負う地元建設会社の役員が、安堵した様子でこう話す。
「除染作業が一段落して、仕事がなくなるのかと不安でしたが、次に回ってきたのが帰還困難区域の家屋の解体や除染です。これまでの作業員をそのまま回して対応しています。会社の経営もおかげでなんとかやっていけています」
誰にでもできる単純作業だというが、問題は人集めだという。
「除染作業員に元ヤクザや元受刑者が多くいるというのは、ゼネコンの担当者も分かっています。表向きは暴力団関係者は厳禁だとか言っていますが、現場は常に人手不足で、真面目にやってくれさえすれば、何も言いません。うちも夕食時に『小指のないやつ、手を挙げろ』と言ったら、半分くらい手が挙がったほどです。元刑務官の除染作業員がいたんですが、『風呂に入ったら入れ墨ばかりで、ここは刑務所の風呂かと頭がクラクラした』と驚いていました」
町のあちこちで解体が進む(撮影:横関一浩)
実際、作業員を募集する側からすれば、「暴力団関係者かどうかを気にしていたら人は集まらない」という切羽詰まった事情がある。別の建設会社役員が、採用手順を教えてくれた。
「まず募集をかけて応募があると面接。そこで一応、暴力団関係者かどうかチェックします。指があるかないか、それが判断基準。ただ、(指が)ない人でも真面目そうだったり、『やめて10年になります』などと言い、履歴書で前に勤めていた会社などがはっきりしていれば雇います。とにかく人手がないですからね」
それから本人が電離放射線健康診断(電離健診)を受け、診断書を持って元請けのゼネコンなどの採用担当者のところへ行く。そこで簡単な面接があって新人教育を1日受けて、翌日から作業に入る、という流れだ。
最近では、こんなケースもある。山口組系の元組員で、覚せい剤絡みの事件などで2回服役していた渡辺真治さん(仮名)は、数年続けていた除染作業員を今年6月に辞め、現在は熊本地震の復興作業員として現地に行っている。
「最近は、ほかの災害の復旧工事に流れる傾向がありますね。福島は警察の警備が厳しく、職務質問も頻繁ですから。今年も西日本豪雨災害があったから、ますますそちらに流れるんじゃないでしょうか」
無人の町を大型トラックが行き来していた(撮影:横関一浩)

「頑張るヤツが原発を支えている」

冒頭の岸田さんは今、仕事にやりがいを感じている。
人生で初めて社会保険や年金の掛け金も支払うようになった。日々の作業で技能も身についた。溶接、クレーン、配管、玉掛け、足場などの専門的な資格も取得した。「資格試験には当然、ペーパーテストもあります。机の上でテストに向かったのは30年ぶりでしたよ」と苦笑する。
「ヤクザをやめても突っ張っていた時期はあった」と振り返る(撮影:横関一浩)
「今、人生で初めてまともに働いています。目標を持って結果を出すことは、やってみれば楽しい。自分はヤクザに戻るつもりはありません。自分を始め、周りにヤクザだった人間はいますが、それでも真面目にやれば、こうやって原発の復旧を末端で支えていける。過去がなんであれ、頑張るヤツが原発を支えているのです」
世間は厳しいが、その分、ちゃんと働けば報酬がある。働き方で評価が変わる。それはとてもやりがいがある、と岸田さんは言う。そして、こう続けた。
「元ヤクザの過去は消せませんが……できればもうちょっと手に職をつけて、いつか自分で事業を起こしたいと考えています」
(撮影:横関一浩)

今西憲之(いまにし・のりゆき)
ジャーナリスト。1966年、大阪府生まれ。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。著書に『内部告発 権力者に弓を引いた三人の男たち』(鹿砦社)、『私は無実です 検察と闘った厚労省官僚 村木厚子の445日』『福島原発の真実 最高幹部の独白』(ともに朝日新聞出版)など。
鈴木毅(すずき・つよし)
1972年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒、同大学院政策・メディア研究科修了後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」副編集長、「AERA」副編集長、朝日新聞経済部などを経て、2016年12月に株式会社POWER NEWSを設立。

https://news.yahoo.co.jp/feature/1143

2018年11月18日日曜日

願望と思惑の一致。凶悪化させ続けている犯罪。



福島第一原発の事故で発生した国の基準を下回る汚染廃棄物の本焼却が12日から宮城県石巻市で始まります。石巻市は10月、汚染廃棄物の試験焼却を行い、検証の結果、空間放射線量などに異常はなかったとして12日から本焼却を開始します。
 11日は石巻市重吉町の焼却施設に石巻市内の農家が保管する汚染された稲わら400キロが運び込まれました。石巻市生活環境部・福田寿幸部長「安全で確実に迅速に処理できる一番の方法と石巻市としては思っているので、これを確実に安全に行っていきたいと考えている」。汚染廃棄物の焼却処分をめぐっては健康への影響を懸念する住民グループが中止を求めていますが、石巻市は市内に保管されている約69.8トンについて今年度中の焼却完了を目指しています。

https://www.khb-tv.co.jp/news/localNews/201811111815021.html






2018年11月17日土曜日

騙して莫大な借金を背負わせ、被曝労働を強制している。

 技能実習生が国会に手紙(後編)「仕事が除染とは知りませんでした」「日本に来てがっかりしました」

ズイさん直筆の手紙、全統一労働組合提供
 外国人労働者の受け入れ拡大を盛り込んだ入管法改正案の審議が、衆院本会議で始まる一方、日本で働く外国人技能実習生から困難な状況を訴える声が上がっている。
 筆者は11月15日付の「技能実習生が国会に手紙(前編)『除染をさせられました』、技能実習のやり直し求める」で、日本で除染労働に従事した1人のベトナム出身の男性技能実習生、チャン・スアン・ズイさん(仮名、35歳)さんが、技能実習のやり直しを求め、国会にあて手紙を書いたことを伝えた。今回はズイさんが手紙を書くに至った経緯を報告する。
 

◆切り詰めた「生活」

 ベトナムでは、政府が掲げる移住労働者の送り出し政策と、労働者送り出しの実務を担う営利目的の仲介会社を核とする国境を超える移住産業の広がりの中、労働者が仲介会社に手数料を支払い海外に出るシステムが構築されてきた。
 手数料は国ごとの「相場」があるが、特に日本は高く、時に100万円を超える。これだけの金額になるのは、手数料がブラックボックス化していることがある。ベトナムの送り出し機関や日本の監理団体の関係者からは、個人のブローカーが間に入るケースがあることに加え、日本側の監理団体や企業に対する接待やキックバックなどの費用が、この手数料に上乗せされているとの話を聞く。
 そして、高額の手数料を支払うために、労働者が借金をすることが常態化している。ベトナム人技能実習生は借金漬けの状態で来日し、就労しつつ、借金を返していくことになるのだ。
 働きに行くために大きな借金を背負うという、いわば借金漬けの労働者を生み出す移住労働のあり方は問題がある。実のところ、技能実習生の支援者のみならず、送り出し機関や監理団体の関係者からも、この異常に高額の手数料や接待・キックバックの存在を問題視する声が聞かれる。とはいえ、一度動き出した移住労働者送り出し/受け入れのシステムはそうやすやすとは止まらない。
 ズイさんはもともと日本へのイメージが良かった上、「日本は稼げる」「技術を学べる」という話を聞き、日本に大きな期待を持った。そして、ハノイ市にある仲介会社(送り出し機関)に110万円の手数料を支払った。この資金はすべて銀行からの借り入れで工面しており、他の多くのベトナム人技能実習生と同様に、ズイさんは借金漬けの状態で来日することになった。
 2015年に日本にやってきたズイさんは、監理団体の施設で1カ月間の講習を受けた後、福島県内の建設会社A社で就労を開始した。建設の仕事は現場が何度も変わることも少なくない。福島県内の郡山、本宮、浪江、宮城県の仙台、さらに千葉と、いくつかの現場をまわり仕事をした。
 建設の仕事は朝が早い。ズイさんたち技能実習生は午前5時に起床し、共同生活をしている寮の台所で朝食の用意をした上で、お昼に食べるお弁当を作る。
 筆者の聞き取りの中で、技能実習生の中で会社からお昼ご飯の支給があった人は、ほとんどいなかった。会社の補助が付いた仕出し弁当を支給されている人がわずかにいただけで、大半の技能実習生は、お昼ご飯を自前で用意する必要がある。
 台湾や韓国で就労したベトナム人によれば、台湾と韓国の会社の中には雇用した外国人労働者に食事を毎食提供するところが少なからず存在した。昼食はもちろんのこと、残業がある場合は夕ご飯が提供されるというケースもあった。
 日本の会社については、歓迎会や忘年会など社内の行事に技能実習生が参加することがあったとしても、日ごろの昼食は自前という例が多いようだ。場合によっては、忘年会などの社内行事を経験したことのないという技能実習生もいた。
 労働者にとって、食事は体を動かすためのエネルギーとなるのにとどまらず、生活の中での楽しみの一つだ。一方、技能実習生は低賃金の中で仕送りをしつつ、場合によってはズイさんのように渡航前費用の借金を返す必要に迫られるのだから、生活費を切り詰めなければならない。
 技能実習生の賃金は地域の最低賃金水準であることが多く、手取りが10万円を切るケースも少なくない。このため食事をすべて自炊で済ませ、食費を含む生活費を月1万5000円から3万円程度に抑えようとする技能実習生が多い。技能実習生の住む寮を訪問すると、台所は使い込まれ、炊飯器や調理器具、調味料が置かれている。人数の多い寮の場合、炊飯器が複数置かれていることもある。技能実習生に休日の過ごし方を聞くと、大半がスーパーマーケットへの食材の買い出しにあてていると答える。日本では外食をほとんどしたことがないという技能実習生もいるほか、日本にいながら、日本の人と食事をしたことがないという人もいた。
 もちろん職場の人と食事を共にする技能実習生もいるし、中には飲み会のような機会を職場の人と楽しむ技能実習生もいる。ただし、技能実習生は原則として、実習先企業を変更できないため、どのような職場で働けるのか、そこでどのような人間関係が築けるのかは、運次第だ。
 技能実習生と言うと、労働環境が注目されがちだが、彼ら彼女らの「生活」面も見る必要がある。食事一つとっても、渡航前費用の借金と低賃金という状況の中で、切り詰めたものになることが多い。ズイさんも食費を切り詰めていたので、お昼ご飯は毎日、手作りのお弁当だった。
 ズイさんは毎朝、お弁当を持って寮から仕事に向かった。そして、仕事の前には事務所に必ず立ち寄り、その日の作業で使う道具を用意してから、現場に移動する。
 建設の仕事は現場までの移動時間が長いという特徴がある。製造業や農業など働く技能実習生の場合は、寮と職場が徒歩圏内、あるいは工場の敷地内に寮があるというケースもあるが、建設の場合は現場が近くにないことも多い。寮から現場まで毎日片道1~2時間、往復で2~4時間を移動時間にあてる建設の技能実習生もいる。建設の技能実習生に話を聞くと、この移動時間は労働時間としてはみなされていないことが多かった。ズイさんもいくつかの現場をまわる中で、長い移動時間を経験したが、これは給与には反映されない。
 現場に着くと、ズイさは朝8時から仕事を始めた。その後、間に1時間のお昼休憩をはさんで、午後5時まで仕事を続ける。それから事務所に戻るのは午後7時ごろ。事務所に道具を戻してから、やっと寮に帰る。今後はやはり寮の台所で夕ご飯をつくる。食事をし、入浴を済ませ、落ち着いたころ、少しだけテレビを見る。朝から働き詰めなので、この時間にもなると、ズイさんはもう疲れ切っていたという。就寝は午後11時ごろになる。
 休みは日曜日だけで、土曜日も働いた。建設の仕事は野外での仕事となるので、雨や雪が降ればその日は仕事が休みとなるが、その場合は日曜や祝日に出勤することになっていた。
 仕事はきつく、休みの日は疲れ果てて、スーパーマーケットに買い物に行く以外は、寝てしまうことが多かった。それでも、ズイさんは日本語の勉強をずっと独学で続けてきた。

◆除染と知らず

 こうした暮らしの中でズイさんが不安を募らせてきたのは、自身の仕事が除染労働だったことだ。来日当初、日本語もままならなかったズイさんは会社から指示されるままに仕事をしており、自身の仕事内容をよく知らなかった。その後、福島県内の現場をいくつか回りながら、少しずつ自分の仕事が除染だと知るようになり、不安を募らせた。
 そもそも技能実習制度において、技能実習生は決められた職種でしか働けない。
 ズイさんを支援する全統一労働組合(東京都)の佐々木史郎書記長によれば、本来ズイさんは「鉄筋施工」の職種の技能実習生として来日しており、それ以外の仕事をさせれば、実習先企業が制度に「違反」していることになる。そして技能実習には「除染」という職種はない。
 ズイさんは「除染の仕事だということは、ベトナムの送り出し機関も、日本の監理団体も、会社も、誰も教えてくれませんでした」と話す。仕事内容を送り出し機関、監理団体、実習先企業の誰に教えられることもないまま、本来の職種に違反する除染労働をさせられていたことになる。
 佐々木書記長は「ズイさんたちの会社から提出された作業記録から、彼らは2016年3月から2018年3月まで、ほぼ毎月、郡山市の住宅除染や、隣接する本宮市での住宅除染や森林除染の作業に従事させられていたことが明らかになっています。その後、2016年8月から11月まで、福島第一原発から最短4キロの位置にある浪江町で、下水配管工事に従事させられていました。浪江町は2018年3月に避難指示解除準備区域と居住制限区域の指定が解除されましたが、ズイさんたちが働いていた時期は解除前で、一般の立ち入りが禁止されていました」と説明する。
 除染の仕事をしつつも、ズイさんの技能実習生としての福島の実習先企業での賃金は、額面が13万円程度にとどまった。ここから寮費として月に1万5000円と税金、医療保険料、年金など引かれ、手取りは8万円から9万円ほどになる。食費として月に2万円、他に雑費が1万円かかり、生活費は月に3万円だ。必要最低限の生活費を払い終われば、手元に残るのは5万円のみ。110万円の借金を背負い来日し、身一つで除染の仕事をしていたはずなのに、手に残るお金は限られていた。
 ズイさんは土曜日にも働いていたが、「土曜日の分の残業代は払われていない」(ズイさん)という。
 手取り8万~9万円から生活費を引いて手元に残った5万円には手を付けず、すべて渡航前費用の借金返済に回していた。手元に残るのが5万円なので、110万円に上る渡航前費用の借金の返済にはおよそ2年近くかかる計算になる。これが除染労働をしていたズイさんの現実だった。

◆救いは職場の上司

 ズイさんの職場での救いは、上司が親切だったことだ。50代の「課長」は仕事を丁寧に教えてくれた。40代の「班長」もベトナム人技能実習生に優しかった。ズイさんに聞くと、現場で働く日本人従業員は年配の人が多く、ベトナム人技能実習生はそれよりもぐっと年齢が低かったという。
 建設部門はそもそも労働力不足にあえいできた業界だ。国土交通省の資料によると、とび工、型枠工、鉄筋工、左官などの職人や特殊作業員、特殊運転手などの技能者から成る「建設部門の技能労働者」の数は、ピーク時の1997年には日本全国で455万人だったが、2013年には338万人にまで落ち込んだ。
 高齢化の進展も指摘される。2013年時点で全産業における29歳以下の労働者の割合は16.8%なのに対し、建設業に限ってはこの割合は10.2%と約1割にとどまる。全産業の55歳以上の労働者の割合は同年に28.8%となったが、建設業はこの割合が34.3%となっており、3割を超えている。
 「課長と班長は、ベトナム人が仕事をよくやるので、好いていてくれました」と、当時を思い出しながら、穏やかな表情で語るズイさん。課長や班長にとって、若い働き手であるベトナム人技能実習生は、欠かせない存在となっていたことだろう。
 ズイさんは知らされないままに除染労働をさせられていたが、それでも、「課長と班長は優しかった。よくしてもらいました」と、話す。
  

◆「私はとても怒っています」

 一方、自身が除染の仕事をしている事に気がついたズイさんは、仕事内容に不安を覚え、ベトナム側の送り出し機関と日本側の監理団体に除染の仕事について問いただしたことがあった。
 
 しかし、送り出し機関も監理団体も特になにも動いてくれることはなく、結局、除染の仕事は続いた。
 不安な気持ちが募る中、ズイさんは、最終的に支援者のもとに駆け込み、保護された。大きな借金を背負ってでも「日本で稼ぎ、技術を身に着ける」との期待から来日し、家族のために働いてきたズイさんにとって、支援者のもとに行くことは、悩みに悩んだ末の苦渋の決断だった。
 そして、全統一労働組合がズイさんの会社に交渉を申し入れ、団体交渉が始まった。「日本で技能実習をやりなおしたい」。それがズイさんの願いだが、会社との交渉は今も続いている。
 佐々木書記長によると、会社との団体交渉や折衝を通じ、除染労働以外にもさまざまな法違反、不正行為の疑いが出てきた。本来の技能実習の職種とは、無関係な仕事が多く、雨天の際などには工場で機械の溶接作業などにも従事させられていた。さらに、雨や雪などで仕事がない場合は、日給に相当する5600円を給与から差し引かれたこともあったという。
 ズイさんは筆者にこう漏らした。
 「日本に来て、本当にがっかりしました。私はとても怒っています。日本の賃金は安いので、お金もたまらない。お金もない。技術もない。それで、ベトナムに帰ってから、どうすればいいのかと悩んでいます。とってもがっかりしています」
 ズイさんはこの状況の中、独学で身に着けた日本語で自分の思いを手紙に綴った。
  以下にもう一度、ズイさんの手紙を掲載する。
  国会、そして日本社会に生きる私たちはズイさんのような外国人労働者の存在をどうとらえるべきなのか。
ズイさん直筆の手紙、全統一労働組合提供
ズイさん直筆の手紙、全統一労働組合提供
(了)

https://news.yahoo.co.jp/byline/sunainaoko/20181116-00104128/