「戦争が起きたってこんな酷いことは起きないと、いうようなことが起きているのです。
しかし、日本の政府は、それを忘れさせてしまおうという、策謀に出ているわけですし、原子力マフィアの一端を担いできたマスコミも、次々と、福島第一原子力発電所の事故のことを報道しなくなる。
忘れさせてしまうという動きが、着々と進行してきているのです。」
「福島第一原子力発電所では、毎日のように、放射能汚染水が、海へ向かって流れていくと、いうようなことになってしまっています。
毎日毎日350トン400トンというような、汚染水がどんどんどんどん増えてきて、一部は地下に流れていって、今現在も福島第一原子力発電所の敷地は、放射能の沼のような状態になってしまっている、のです。 」
「それも防ぐこともできないというところに追い詰められているわけですけれども、何とかしなければいけないといって、労働者たちが闘っています。
被曝をしながらです。
でも、被曝というのは、日本の法律の中では、限度が決められているのです。
1年間に、皆さんは1ミリシーベルトの被曝しかしてはいけないと決められているわけですが、被曝労働者も1年間に20ミリシーべルト以上の被曝はしてはいけないと定められているのです。
もしその被曝の限度を超えてしまえばどうなるかと言えば、東京電力の社員であれば何にも困りません。
被曝現場から離れて、別の部署で働けばいいのです。
しかし今、福島第一原子力発電所の現場で働いている労働者たちは、被曝の限度に達してしまえば即解雇なんです。
もう働けなくなる、生活が奪われてしまうという、それを抱えながら、働いているという、そういう人たちです。
そういう労働者を雇う雇用主の方も、労働者がいなくなっては困るので、「被曝の限度を誤魔化せ」、「あまり被曝しないように申告しろ」と、言うわけですし、労働者の方すらが、自分が被曝の限度に達してしまうと首を切られてしまう、生活ができなくなるということで、自分のほうから自分の被曝量を誤魔化していくという、そういう悲惨なことになっているのです。
そしてこういう事態が、これから何年も、何十年も続いていくしかない。
そんな事故が今、進行しています。
私も含めて、今日この会場にいらっしゃっている方々、まあ失礼ながらどっちにしても死ぬんです。
私にしても10年生きられるか、20年生きられるかと思っていますけれども、福島の事故は50年経っても収束しないんです。
この会場の人間がみんな死んでしまっても、多分事故は収束しないという、そういう事故。
人類が初めて遭遇した巨大な事故が、今進行して、本当に社会的に弱い人たちが、次々と被曝をしていくということになってしまっています。
周辺も大変です。
鈴木さんのように逃げてきた方もいる。
あるいは猛烈に汚染をしてしまったところ、面積にして言うと約1000平方キロメートル。
琵琶湖が1.5個も入ってしまうというようなところが、到底人が住めないということで、10万人を超える人たちが故郷を追われて流浪化しているんです。
「避難」という言葉で言われています。
でも一体それはどういうことなんでしょうか?
「補償金貰ってるからいいだろう。」
多分政府の方は言うんだろうと思います。
しかし人間が生きる、生活するということは、物を食べるということだけではないのです。
ちゃんと仕事があって、誇りを持ってその仕事をこなしながら、地域の人たちと繋がって、子どもたちは学校行って繋がって、みんなそうやって生きてきたはずなのですけれども、その生活が根こそぎ破壊されてしまうということが、1000平方キロメートルというような地域で起きて、10万人を超えるような人たちが、未だに自分の家に帰れないのです。
たった一人の人がそうなったって大変なことだと私は思いますけれども、10万人を超えるというような人たちが、そうなってしまっています。 」
「福島の事故から、いったい私たちは何を教訓にすればいいのでしょうか?
私の教訓は単純です。
原子力発電所で事故が起きてしまえば、今聞いていただいたように、途轍もない被害が出てしまって、回復すらができないという、そういうものである。
そして、そういう被害というのは、社会的に困った人たちに、集中的に加えられていくと、いうことを教訓にしなければいけないし、二度と原子力発電所などは動かしてはいけないという事こそ、私は学ばなければいけないと思いました。
恐らくこの会場の皆さんも、そう思ってくださっていると思います。
しかし、原子力マフィアはどういう教訓を得たのかというと、どんなに酷い事故を起こしても、どんなに住民に苦難を加えても、自分たちは決して処罰されないという教訓を、彼らは学んだんです。
誰一人として処罰されない。
無傷のまま生き延びてしまうということになりました。
今、「再稼動反対!」ということでここに私たちは集まっているわけですけれども、電力会社は、九州電力・関西電力を筆頭に、原子力発電所を再稼動しようとしています。
何故かと言えば、川内原子力発電所、高浜原子力発電所、次には大飯原子力発電所が、仮に再稼動して、大きな事故を起こしたとしても、彼らは誰一人罰せられないということを、今度の事故から教訓として彼らは学んでいるんです。
東京電力の誰一人として罰せられない。
東京電力は今はもう黒字になっている。
それならもう自分たち何も怖いものはないということで、彼らは再稼動させようとしているわけです。
何としても、それを私は止めさせたいと、思います。
残念ながら私たちはまだまだ弱いです。
本当に再稼動を阻止できるかどうか、私には分かりません。
再稼動どころか、原子力発電所を世界中から私は廃絶しなければいけないと思っていますけれども、そこまでたどり着くまでに、いったいどれだけ長い時間がかかるだろうかと思うと、大変なことだろうなと思います。
問題は、原子力発電所の再稼動という、ただそれだけではなくて、この社会、この世界が、一体どんなものなのかと、それを根本的に変えなければいけないと、いうことだと思いますし、社会的に弱い人たちに、とにかくみんなしわ寄せをしていくという、そういう世界を変えるという闘いと、たぶん繋がっているんだと思います。」
しかし、日本の政府は、それを忘れさせてしまおうという、策謀に出ているわけですし、原子力マフィアの一端を担いできたマスコミも、次々と、福島第一原子力発電所の事故のことを報道しなくなる。
忘れさせてしまうという動きが、着々と進行してきているのです。」
***
「皆さんこんにちは。
あいにくの雨模様の空ですけれども、たくさんの方がお集まり下さいまして、ありがとうございます。
既に、4年になってしまいました。
3月11日に、地震と津波に襲われて、福島第一原子力発電所が、次々と爆発して、溶け落ちていくということが起こり、私自身は、いつか起きると、警告をしてきた人間ですけれども、その私にしても、本当に起きているということが信じられませんでした。
毎日毎日悪夢を見ているのではないかと、思いながら、目を覚まして、でもやはり事実として、事故が起きている。
というその事実に打ちのめされながら、毎日を戦争のように、今日まで過ごしてきましたが、残念ながら何の収束もしないまま、今日に至っています。
2011年3月11日に、事故が起きた時に、日本国政府は、原子力緊急事態宣言というのを出しました。
その緊急事態宣言は、未だに解除されていないのです。
事故がずーっと未だに続いているということは、もちろん事実が示しているわけですし、日本国政府自身が、それを認めていると、いうことになっています。
先ほど鈴木さん(※)が報告して下さったように、福島の現地を中心にして、たくさんの方々が、未だに苦しんでいるという、そういう状態です。
たくさんの被害者、何十万人、あるいは、汚染地帯に何百万人の人たちが、不安の中で暮らすという状態になっています。
(※鈴木絹江さんスピーチ「福島避難者からの訴え」 )
一体この事故を引き起こした、加害者は誰なんでしょうか?
日本では、原子力平和利用というような、私から見るととんでもない嘘の宣伝の下に、原子力が進められてきました。
それを進めてきたのは、まずは日本の政府、日本の国家です。
その周りに、電力会社、原子力産業、中小零細のたくさんの企業、そしてそこで働く労働組合までが、加担するようになりました。
もちろん学者もほとんどが、原子力に加担をして、原子力は良いものだという旗を振り続けました。
今日この場にも、一部マスコミの人もいてくださると思いますけれども、マスコミすらが、原子力の夢をばら撒いて、全部が一体となって、原子力を今日まで進めてきてしまったのです。
かつて日本は、悲惨な戦争をしました。
国が戦争をして、もちろんマスコミも加担して、日本国民みんなが、その戦争に加担しながら、悲惨な被害というものを、自分たちだけでなく、アジアにも振り撒いたということがありました。
日本で進められてきた原子力というのは、私はまさに戦争と同じような構造だったと思います。
大変巨大な組織、言ってみれば政府を中心にした権力機構というものがあって、どんな反対をしてもどうにもならないという中で、原子力が進められてきてしまいました。
挙句の果てに、事故は起きたのです。
私はその巨大な権力機構を、皆さんは「原子力ムラ」という言葉で呼ぶようになっていると思いますが、私は「原子力マフィア」と呼びたいと、思うようになってきました。
まさに犯罪者集団です。
巨大な犯罪を犯している集団が、日本の国家を中心として、日本というこの国を全て牛耳っているという、そういう状態になってしまっています。
この会場の中にも、自営業の方がいらっしゃるのではないかと思います。
そういう自営業の方が、何か自分の職場から、毒物を環境に流すということをすれば、すぐに警察が踏み込んできてその人を処罰します。
誰か一人でも、周辺の人が死んだというようなことになれば、マスコミも含めて大騒ぎになるはずなんです。
しかし、福島第一原子力発電所の事故の場合には、既に「原発関連死」と呼ばれている人たちが、恐らく2000人を超えています。
たくさんの人々が命を奪われるということがあっても、誰一人として責任を取らないと、いうことが起きてしまっています。
私は加害者に必ず責任を取らせたいと、思います。
東京電力の会長・社長以下、原子力を進めてきた人たちは刑務所に入れなければいけないし、
(会場拍手)
ありがとうございます。
これまで日本で58基の原子力発電所を認可してきた自由民主党というその政党、その政党の歴代の責任者、原子力発電所の安全審査にお墨付きを与えた内閣総理大臣っていうのはみんな自民党だったわけで、そういう連中はみんな刑務所に入れなければいけないと、思います。
(会場から「そうだ!」の声)
残念ながらそれができないというのが、今のこの時です。
しかし、事故から4年経っても、本当に残念なことに、事故は全く収束していないのです。
2011年12月に、まだ民主党という政党が政権を取っていた時に、野田さんという首相が、事故就職宣言なるものを出したんです。
いい加減にしてくれと私は思いました。
収束宣言を出すなら、まず緊急事態宣言を撤回しなければいけないはずなのですが、緊急事態宣言は生きたまま、事故の収束宣言を出すというような出鱈目なことを、民主党という政権がやったのです。
民主党はまあ政権が崩壊してしまって、今また自民党が返り咲いているわけですが、ますます、また原子力を進めるという、考えられないようなことになってしまっています。
その陰では、今この時も、恐らく7000人という労働者が、福島第一原子力発電所の敷地の中で、放射能を相手に闘っています。
その労働者たちは、東京電力の社員ではありません。
ほとんどが下請け、孫請け、そのまた下請けというように、8次9次10次というような下請け関係で雇用されている、本当に貧しくて、底辺で喘いでいる労働者たちです。
もちろん、非正規雇用労働者です。
彼らが、毎日被曝をしながら、事故に向き合ってくれているわけですけども、皆さんもご存知のように、福島第一原子力発電所では、毎日のように、放射能汚染水が、海へ向かって流れていくと、いうようなことになってしまっています。
毎日毎日350トン400トンというような、汚染水がどんどんどんどん増えてきて、一部は地下に流れていって、今現在も福島第一原子力発電所の敷地は、放射能の沼のような状態になってしまっている、のです。
それも防ぐこともできないというところに追い詰められているわけですけれども、何とかしなければいけないといって、労働者たちが闘っています。
被曝をしながらです。
でも、被曝というのは、日本の法律の中では、限度が決められているのです。
1年間に、皆さんは1ミリシーベルトの被曝しかしてはいけないと決められているわけですが、被曝労働者も1年間に20ミリシーべルト以上の被曝はしてはいけないと定められているのです。
もしその被曝の限度を超えてしまえばどうなるかと言えば、東京電力の社員であれば何にも困りません。
被曝現場から離れて、別の部署で働けばいいのです。
しかし今、福島第一原子力発電所の現場で働いている労働者たちは、被曝の限度に達してしまえば即解雇なんです。
もう働けなくなる、生活が奪われてしまうという、それを抱えながら、働いているという、そういう人たちです。
そういう労働者を雇う雇用主の方も、労働者がいなくなっては困るので、「被曝の限度を誤魔化せ」、「あまり被曝しないように申告しろ」と、言うわけですし、労働者の方すらが、自分が被曝の限度に達してしまうと首を切られてしまう、生活ができなくなるということで、自分のほうから自分の被曝量を誤魔化していくという、そういう悲惨なことになっているのです。
そしてこういう事態が、これから何年も、何十年も続いていくしかない。
そんな事故が今、進行しています。
私も含めて、今日この会場にいらっしゃっている方々、まあ失礼ながらどっちにしても死ぬんです。
私にしても10年生きられるか、20年生きられるかと思っていますけれども、福島の事故は50年経っても収束しないんです。
この会場の人間がみんな死んでしまっても、多分事故は収束しないという、そういう事故。
人類が初めて遭遇した巨大な事故が、今進行して、本当に社会的に弱い人たちが、次々と被曝をしていくということになってしまっています。
周辺も大変です。
鈴木さんのように逃げてきた方もいる。
あるいは猛烈に汚染をしてしまったところ、面積にして言うと約1000平方キロメートル。
琵琶湖が1.5個も入ってしまうというようなところが、到底人が住めないということで、10万人を超える人たちが故郷を追われて流浪化しているんです。
「避難」という言葉で言われています。
でも一体それはどういうことなんでしょうか?
「補償金貰ってるからいいだろう。」
多分政府の方は言うんだろうと思います。
しかし人間が生きる、生活するということは、物を食べるということだけではないのです。
ちゃんと仕事があって、誇りを持ってその仕事をこなしながら、地域の人たちと繋がって、子どもたちは学校行って繋がって、みんなそうやって生きてきたはずなのですけれども、その生活が根こそぎ破壊されてしまうということが、1000平方キロメートルというような地域で起きて、10万人を超えるような人たちが、未だに自分の家に帰れないのです。
たった一人の人がそうなったって大変なことだと私は思いますけれども、10万人を超えるというような人たちが、そうなってしまっています。
日本はかつての戦争で、負けました。
でも、国家が戦争で負けても、「国破れて山河あり」といって、大地があればみんな生きられたんです。
どんなに辛くてもきちっと生きることができたわけですけれども、今はその大地自身が奪われてしまうと、いうことになりました。
戦争が起きたってこんな酷いことは起きないと、いうようなことが起きているのです。
しかし、日本の政府は、それを忘れさせてしまおうという、策謀に出ているわけですし、原子力マフィアの一端を担いできたマスコミも、次々と、福島第一原子力発電所の事故のことを報道しなくなる。
忘れさせてしまうという動きが、着々と進行してきているのです。
でも、今日この会場に、雨の中を、これだけのたくさんの方が来て下さったことを、私は大変嬉しく思います。
どんなに国の方で忘れさせてしまおうということをやっても、福島のことを忘れないと思ってくださる方が、やはりこの国にはちゃんといて、それぞれの方が、こうやって集まってきて下さるということを、大変ありがたく思います。
ありがとうございました。
(会場拍手)
福島の事故から、いったい私たちは何を教訓にすればいいのでしょうか?
私の教訓は単純です。
原子力発電所で事故が起きてしまえば、今聞いていただいたように、途轍もない被害が出てしまって、回復すらができないという、そういうものである。
そして、そういう被害というのは、社会的に困った人たちに、集中的に加えられていくと、いうことを教訓にしなければいけないし、二度と原子力発電所などは動かしてはいけないという事こそ、私は学ばなければいけないと思いました。
恐らくこの会場の皆さんも、そう思ってくださっていると思います。
しかし、原子力マフィアはどういう教訓を得たのかというと、どんなに酷い事故を起こしても、どんなに住民に苦難を加えても、自分たちは決して処罰されないという教訓を、彼らは学んだんです。
誰一人として処罰されない。
無傷のまま生き延びてしまうということになりました。
今、「再稼動反対!」ということでここに私たちは集まっているわけですけれども、電力会社は、九州電力・関西電力を筆頭に、原子力発電所を再稼動しようとしています。
何故かと言えば、川内原子力発電所、高浜原子力発電所、次には大飯原子力発電所が、仮に再稼動して、大きな事故を起こしたとしても、彼らは誰一人罰せられないということを、今度の事故から教訓として彼らは学んでいるんです。
東京電力の誰一人として罰せられない。
東京電力は今はもう黒字になっている。
それならもう自分たち何も怖いものはないということで、彼らは再稼動させようとしているわけです。
何としても、それを私は止めさせたいと、思います。
残念ながら私たちはまだまだ弱いです。
本当に再稼動を阻止できるかどうか、私には分かりません。
再稼動どころか、原子力発電所を世界中から私は廃絶しなければいけないと思っていますけれども、そこまでたどり着くまでに、いったいどれだけ長い時間がかかるだろうかと思うと、大変なことだろうなと思います。
問題は、原子力発電所の再稼動という、ただそれだけではなくて、この社会、この世界が、一体どんなものなのかと、それを根本的に変えなければいけないと、いうことだと思いますし、社会的に弱い人たちに、とにかくみんなしわ寄せをしていくという、そういう世界を変えるという闘いと、たぶん繋がっているんだと思います。
これからもまだまだ長い時間がかかると思いますが、先ほど松田さんが報告してくださったように(※)、大飯原発、高浜原発の、再稼動を差し止めるという裁判も、今進んでいて、もうすぐ、たぶん私も思うけれども、差し止めの判決が出るだろうと思います。
(※松田正さん(福井から原発を止める裁判の会)スピーチ )
歴史は流れています。
大河のように流れています。
簡単には流れを変えられないこともあるけれども、でも確実に流れていると、私は思います。
諦めずに、これからも行きたいと思いますし、皆さんのご活躍を願いたいと思います。
ありがとうございました。 」
文字起こし:
http://open.mixi.jp/user/23621043/diary/1939775972
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