2017年6月17日土曜日

福島県から新潟県長岡市に避難していた中学3年生が自殺

続く避難生活 14歳は死を選んだ
長岡 家族引き裂いた原発事故

 長岡市の中学3年の男子生徒(14)が自ら死を選んだ。男子生徒は東京電力福島第1原発事故で福島県南相馬市から自主避難していた。自殺の理由は分からないが、15日に葬儀を終えた両親は「避難生活で両親が離れて暮らしていることで、つらい思いがあったのかもしれない」と打ち明けた。日頃から自殺をほのめかす言動があったという。

 両親によると、男子生徒は12日朝、自室のベッドに横たわって亡くなっているのが見つかった。頭からビニール袋をかぶった状態だった。

 長岡では母親ときょうだい3人と暮らしていた。原発事故後の2011年8月に自主避難。当初の3年ほどは仕事の都合で母親が福島に残り、長岡では父親と子どもたちが暮らしていた。その後父親が福島に戻り、母親が長岡で暮らすようになった。

 長く父親と暮らしていたせいか、そのころから父が不在の時は不安定になることが増えた。自殺の方法をインターネットサイトで検索するなど、自殺をほのめかす行動を見せるようになった。

 学校では美術部に所属。友人も多く、長岡で知り合った親友と旅行することもあった。学校を休むこともなく、「引っ越してよかった」と話していたという。

 しかし今月9日、長岡を訪れていた父親が福島に帰ると、また「死にたい」と口にするようになった。母親は「つらい思いを募らせていたシグナルだったのかもしれない」と振り返る。

 南相馬の自宅は原発から二十数キロ。放射線への不安や仕事の都合もあり、家族は離れて暮らさざるを得なかった。「原発事故で家族がばらばらに暮らしていなかったら、こんなことには」。父親は次の言葉を飲み込んだ。

 通夜や告別式には多くの同級生が参列した。両親は「ありがたかった」としみじみ語る。父親は「私が近くにいないことで、はけ口がなかったのだろう。せめて電話をしてほしかった」と唇をかむ。

 男子生徒が亡くなった朝、自室ではいつも通り目覚まし時計が鳴った。「本気で自殺するつもりだったのだろうか」。母親は遺影に目をやった。「心にたまったガスが抜けずにパニックになってしまったのか
【社会】 2017/06/16 07:48






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