若者らによる無差別テロで大きな犠牲と混乱をもたらしたオウム真理教事件。平成の日本社会の自画像を揺るがし、多くの問いと論争を生んだ。教団トップの松本智津夫麻原彰晃)死刑囚ら7人への死刑が執行された今、オウムを生んだ社会はどう変わったのか。事件直後から積極的に発言していた社会学者の大澤真幸さんと宮台ログイン前の続き真司さんに聞いた。
 ■「虚構の時代」困難より深く 社会学者・大澤真幸さん
 オウム真理教地下鉄サリン事件を引き起こしたとき、私はこれを「虚構の時代の果て」の出来事だと論じた。私の考えでは、日本の戦後史は、理想の時代から虚構の時代へと変化してきた。理想の時代とは、社会全体に関してであれ、人生に関してであれ、何が理想の状態であるかのイメージが明確で(「平和と民主主義」「マイホーム」等)、コンセンサスがある段階である。理想の時代は1970年代初頭で終わる。理想のもつ説得力が失われ、理想が占めていた場所を、多くの私的な虚構(アニメ、ゲーム等)が占め、人々がそれらに耽溺(たんでき)する時代がやってきた。
 オウムは、虚構の時代が極限に来ていたことの指標である。彼らは虚構を、彼らの「革命」を駆り立てる理想として活用したからだ。理想と虚構はともに非現実だが、違いは、前者はやがて現実化すると見なされなくてはならない点にある。理想の枯渇は耐え難い。オウムは虚構をそのまま理想とし、その実現を目指したのだ。オウム信者がアニメ的世界を生きているように見える、とはこのことを指している。
 だが特殊なタイプの虚構でなければ、直接、理想として働かない。理想の時代はとっくに終わり、どんな理想も偽善に見え、本物とは感じられないとき、何が理想の代わりになりうるのか。理想は一般に、何らかの未来の状態に対して建設的なものである。この建設的な側面をトータルに否定し、破局を導く無目的な破壊の力、それだけがかつての理想に匹敵する――いやそれを上回る悪魔的魅力を発するだろう。その破壊が、偽善的な理想をことごとく拒絶する真に崇高な理想に見えるからだ。
 このトータルな破壊を組み込んだ妄想(虚構)が世界最終戦争(ハルマゲドン)であり、破壊力の源泉が最終解脱者の麻原彰晃である。彼らのテロは最終戦争の一環である。要するに「最終戦争を戦っていると思うとワクワクし生きている実感がする」ということだ。
 当時の知的な若者がどうしてこんな虚構=理想に惹(ひ)きつけられたのか。もともと資本主義に理想を相対化し、色褪(あ)せさせる働きが内在しているのだが、ここでは日本社会に絞って問題を指摘しておこう。戦後日本は、普遍的な価値をもつ理想を構築し、我がものとすることに失敗したのだ。敗戦の屈辱と経済成長の実感がある間は、理想が地に足を着けていない状態を意識せずに済んだ。しかしそれらが消えたとき、崇高な理想がどこにもない砂漠のような状況が出現する。これに対する過激な反応がオウムだった。
 あれから23年、困難は克服されたのか。そんなことはない。状況はより深刻だ。
 かつてオウム信者が戦争ごっこを楽しむことができたのは、彼らも世界が終わると本気には信じていなかったからである。一人を除いて。そう一人は信じていなくてはならない。そうすれば、その一人への帰依を通じて、(自分は信じていなくても)その一人の夢の中を生きることができる。
 ならば安心、その「一人」は死刑に処せられた……と思ったら大間違い。今日オウムのような集団が現れないのは、誰もが、近い将来ほんとうに破局が訪れ得ると知っているからだ。このまま行けば大丈夫、と思っている人はほとんどいない。現状のまま続ければ、日本は、地球は破局的結末の到来を避けられない。労働力不足による福祉制度の根底的崩壊か、極端な格差か、核戦争か、生態系の破壊か、具体像はわからないが、そのいずれかが起こるということは、現実的な予想の中にある。それなのに、私たちは、破局の回避という最小限の条件を満たす理想社会への道すら見出(みいだ)せない。
 かつて一人の妄想だったことが、今や、万人の予想のうちにある。事態はましになったのか?(寄稿)
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 おおさわ・まさち 1958年生まれ。思想誌『THINKING「O」』主宰。96年に『虚構の時代の果て―オウムと世界最終戦争』刊行。近著に『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』。
 ■日本的な構造の反復いまも 社会学者・宮台真司さん
 オウム真理教の事件は、今の首相官邸や国会、そして霞が関に見られる「エリート」の迷走の、出発点だったと言えるでしょう。
 事件を起こした教団幹部の多くは学歴が高い「エリート」。彼らの多くは、私もそうですが、上昇機運に包まれた高度経済成長期に生まれ育ちました。
 子どものころに抱いていた「輝かしさ」を経験できない不全感は何もオウムに集まった人たちだけの特徴ではありません。世代的に共有されていた。僕自身1980年代の前半に「自己啓発セミナー」の現場で、そうした感受性を共有した人たちと出会いました。若い官僚や芸術家らが数多くいた。
 かつてと違って「努力して貧しさを克服する」といった社会の中での地位上昇によっては解決できない「実存」の問題を、どう解決するか。地下鉄サリン事件が起きた95年ごろには既に上昇の輝かしさが遠のき、一言でいえば「こんなはずじゃなかった」という感覚が少なくとも「エリート」の中に充満していた。
 オウムは、社会的な地位達成で埋め合わせられない実存的な不全感を、宗教によって埋め合わせ、まじめな若者を引きつけた。単なる生きづらさを「ハルマゲドン」に象徴される「世界変革」で解消しようとした短絡にこそ特徴があります。
 事件が起きるまでは、こうしたオウム真理教をさも「真なる仏教」などともてはやす人たちがいた。選挙に出馬し、テレビ番組に出たことなどでも注目を集め、なぜ若者たちが入信するのかという動機の不透明さが「新しさ」として受け止められた。ですが、僕は危険だと考えていた。
 出発点は、まじめな若者の生きづらさ。だからこそ危険なのです。地下鉄サリン事件の4カ月後に発表した『終わりなき日常を生きろ』は、「輝きを失った世界」で、実存の問題を世界変革に結びつけることを問題にし、そこそこ腐らず生きていくことを「まったり」という言葉で肯定しました。
 オウムという存在や事件自体は日本社会を大きく変えてはいません。むしろ逆です。その後の報道などでも明らかなように、この社会に絶望して教団に入ったのに教団の中で繰り返されていたのは、今風にいえば、教団内での地位をめぐる、麻原彰晃の覚えをめでたくするための「忖度(そんたく)」競争でした。教義や大義は、どうでもよかった。日本社会の特徴とされる構造の反復です。その意味ではオウムは極めて陳腐な存在です。
 だからこそ危ないとも言える。不全感を解消できれば、現実でも虚構でもよい。自己イメージの維持のためにはそんなものどちらでもよい。そうした感受性こそ、昨今の「ポスト真実」の先駆けです。誤解されがちですが、オウムの信徒たちは現実と虚構を取り違え、虚構の世界に生きたわけではない。そんな区別はどうでもよいと考えたことが重要なのです。
 事件後、「オウムバッシング」が広がり、実存の不全感を人前で訴えるのは「やばい」ことになる。事件の半年後に始まったテレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に代表されるように、若者は自己イメージを維持するために繭にこもるようになる。ですが、「エリート」の迷走も「現実と虚構」の関係も実は変わっていません。
 「エリート」のみならず、社会全体がオウム的になっているとすら言えます。にもかかわらず、社会の側はオウムを自らと切断し、その自覚も学習もないまま、死刑が執行された。結局日本社会は、オウムを自分たちの問題として捉えることに失敗したのです。(聞き手・高久潤)
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 みやだい・しんじ 1959年生まれ。首都大学東京教授。「オウム完全克服マニュアル」という副題を持つ『終わりなき日常を生きろ』を95年に刊行。著書に『正義から享楽へ』など。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13576119.html?rm=150